[袴田事件] 無実の死刑囚に米国専門誌も注目


“ボクシングの聖書”として世界的にも権威のあるボクシング専門誌『The RING』で、元ボクサーの死刑囚、袴田巌さんのことが取り上げられましたので、URLと記事の和訳をご紹介させてただきます。

(URL)https://www.ringtv.com/613400-the-prison-saga-of-japanese-featherweight-iwao-hakamada-the-asian-rubin-hurricane-carter/?fbclid=IwAR1TnFlLWjO3OuqacrWYKidz1GOBVtQl88eC3WZi_ori391KUd8nC3UnTpo

#freeHAKAMADA #袴田事件 #冤罪 #無実の死刑囚


【和訳】

日本フェザー級ボクサー『アジアのルービン“ハリケーン”カーター』袴田巌さんの獄中での戦い

11月17日

米リング誌 Anson Wainwright

(取材記事担当/翻訳/写真 Hank Hakoda)


 皆さんは、これから紹介する袴田巌さんのことを聞いたことがないでしょう。彼は言わば、アジア版のルービン"ハリケーン"カーターなのです。

 袴田氏は1959年後半にプロ入りした日本のフェザー級のボクサーで、キャリアの絶頂期には日本フェザー級6位にまで上り詰め、1961年夏に16勝(1KO)11敗2分という戦績で引退しました。

 元々静岡県に住んでいた袴田氏は、引退してからは静岡の工場に勤務し、ごく普通の穏やかな生活を送っていました。しかし、1966年6月30日、彼の上司の家で火災が発生し、その上司、妻、子供2人が亡くなりました。その時、袴田氏は他の仲間と共に消火活動に参加していました。その後、その家族は何者かによって刺殺されていた上に、現金約20万円が盗まれていたことが発覚しました。現在の貨幣価値ではかなりの金額です。

 その2ヶ月後、血がついた服が証拠品として発見され、袴田氏は強盗・放火・殺人の容疑で逮捕されました。当初、彼は容疑を認めていましたが、その後、裁判で主張を変え無実を主張しました。しかしながら、1968年9月11日に静岡地裁で有罪となり、死刑判決を受けることになりました。以降、袴田氏は、信じられないことに48年近くもの間、死刑囚として服役し、ギネスブックでも最長の死刑囚として認定されるほどの長さです。

 2016年3月、袴田氏はついに釈放されました。

 現在84歳の袴田氏は、約50年間もの獄中生活による影響で、「拘禁性精神病」と診断されていて、事件や裁判について詳しく話すことは難しい状況です。姉の袴田秀子さんは、快く取材に応じてくださり、弟の巌さんから長年にわたって聞いてきたことなどを話してくれました。

「巌は犯行を否定し続けたんです。」

秀子さんは、この取材で袴田氏と多くの時間を過ごした、米リング誌取材担当の箱田にその思いを語り始めました。

「事件が起きたその時間帯に、『袴田さんが自分の後ろを歩いていた。』と、巌のアリバイを認める同僚がいたんです。でも、その目撃者は後になって、よく分からないまま証言を撤回してしまったんです。きっと裏で何かが起きていたに違いないと思います。」

 当初は血痕のついたパジャマが証拠として使われましたが、後にそれが間違っていたことが判明したのです。

「この事件は『拷問王』と呼ばれるほど、悪名高い警察官が担当していたんです。その男は無実の人々を苦しめ、数々の虚偽の告発を生み出したといわれています。今では絶対に許されないような非人道的な尋問を、巌が毎日のように受けていたことが明らかに分かる公式記録もあるんです。巌は自分の命を守るために、真実ではないことを警察に話さなければならなかったんです。警察は弟をなんとか殺人犯にしようとし、そして弟は殺人犯に仕立て上げられてしまったんです。」

 多くの弁護士や専門家は、長年にわたり、取り調べや証拠の正当性を疑問視し、袴田事件に対する司法の適切な対応を求めてきました。

 秀子さんは弟がついに刑務所から解放されたときのことを今でも鮮明に覚えています。

「その日私たちは、巌に再審請求が認められたことを伝えるためだけに訪問しました。」と秀子さんは当時を振り返りました。「話を終え、私たちが刑務所の外に出ようとしたら、応接室に戻るように言われました。その直後、奥から巌が出てきて『釈放された...。』とだけ静かにつぶやきました。」

「彼は喜んでいるようにすら見えなかったし、興奮しているようにも全く見えなかったです。彼はただただ、何が起こっているのかと途方に暮れている様子でした。」「その後、巌の私物や、獄中で巌には届けられなかった支援者からの1万通以上の手紙などが入った段ボール箱が11箱も送られてきました。」

 袴田氏は地裁が再審開廷を決定したため釈放されました。しかし、2018年に高裁は再審を開くという下級審の決定を覆したのです。ちなみに日本では、再審を開始するには、地方裁判所、次に高裁、最高裁と進み、最終的には最高裁が決定するしくみとなっています。

 袴田氏が釈放され、いま自由でいられるのは、高裁も健康状態などを理由に当面は勾留しないことを決めたからというだけです。検察側は最高裁に袴田氏を再び拘束するよう求める声明文を提出しました。もし最高裁がそれを認めた場合、袴田氏の身柄を再び拘束することができるのです。

 秀子さんは弟への世間からの温かい応援に感謝の意を表しています。

「巌と私を励まし続けてくれた世界中のボクシングファンの皆さんには感謝してもしきれません。」「皆さんがいなければ、巌は今のような自由を手にすることはできませんでした。」と彼女は言いました。

「特に、日本プロボクシング協会の新田渉世さんは、この問題を世界的に提起することに本当に貢献してくれました。袴田巌は無実なのですから、私たちは勝つまで戦い続けます。だってそうでしょう、彼はより良い人生を送るに値するのだから。」

 日本弁護士連合会(JFBA)、日本プロボクシング協会(JPBA)、アムネスティ・インターナショナル・ジャパンなどが袴田氏を支援し続けています。WBCは冒頭のルービン・カーター同様に、袴田氏をWBC名誉王者に認定しました。また、2019年のローマ法王フランシスコの来日中、袴田氏と姉の秀子さんは東京ドームでのミサに招待されました。

パジャマ以外の証拠が不十分で検察側の立証が行き詰まった再審が始まって1年が経ちました。

 袴田氏の支持者である弁護士や科学者らは、今回の追加証拠は逮捕後に何者かが明らかに捏造したものであり、その発見された衣類は袴田氏には小さすぎると主張しています。また、袴田氏が殺害に使用したとされる小型の凶器は、死体から発見された40個以上の傷とは矛盾していました。

 当時殺害された家族には、勘当されて別居していた長女がいました。その長女は、袴田氏が釈放された直後に自殺したと報じられています。袴田氏の支持者は、彼女が事件の鍵を握っていると考え、家族を恨んで殺害したという可能性もあるのではないかと推測しています。

 10月中旬、支援団体が静岡県庁で記者会見を開き、今後の活動資金のクラウドファンディングを通じて1,510人から1,867,000円の寄付金が集まったことを発表しました。


※ この特集の取材・記事及び翻訳は、リング誌特派員 箱田博(Hank Hakoda)が担当しました。

東日本ボクシング協会

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